霞南とは
日本で二番目に大きい湖、霞ヶ浦。その南側の地方で野菜を育てています。家庭菜園から初めて、自然栽培にたどり着きました。自然を活かした”農”に取組んでいます。慣行農法に比べると、収量は多くありませんし、手間もかかり、失敗することもあります。しかし、自然とともに暮らし、いのちの尊さを感じる生活、いいですよ。”農”を楽しみませんか?
“農”とは
人間が生きるということは、植物を育て食べることである。食べるための植物を育てる営みを”農”と定義します。
地球上の生物は太陽のエネルギーを使って生命を維持しています。人間を含む動物は、太陽エネルギーを直接取り込むことはできません。一方、植物は光合成により、光エネルギーを化学エネルギーに変換することができます。動物は植物によって固定されたエネルギーを摂取し、太陽エネルギーを間接的に取込んで生きています。人間が生きることの源は、食べること。”農”とは、人間が生きるために、植物を育て、太陽エネルギーを固定化し、いのちをつなぐ行為なのです。
自然栽培
私達人間も育てる野菜も自然の循環の中の一部です。自然の力を活かして、野菜を育てています。無施肥でも野菜は栽培できます。足りない時は米糠を補います。化学肥料、鶏糞や牛糞などは使いません。農薬、除草剤、土壌殺菌などはしていません。いつの間にか生え茂る草立ち、どこからともなくやって来る虫たち。敵として完全に排することなく共生する。そんな畑を理想とします。
一般に行われている農業は、慣行農業と言われます。トラクターで畑を耕し、化学肥料、あるいは有機肥料を畑に入れ、農薬や除草剤を適宜使用し、高い生産性を誇る高度な技術です。たくさんの人が食べる必要な量の野菜を適正な価格で供給するためには必要なことです。でもそうではない”農”のあり方、自然栽培という栽培方法があって良いと思います。両者は対立するものではなく、共存しうるものです。
不耕起
畑は鍬や耕運機で耕しません。土を掘り返すのは最小限に。微生物やミミズ、虫たちが畑の土を豊かにしてくれます。刈った草は野菜たちの株元に敷き、その刈り草が少しづゝ腐食し、土に還っていきます。いのちを終えた植物の根は、やがて朽ちて空気や水の通り道になります。そうして耕さずとも、肥料を入れなくても、野菜が育つ畑の土になっていきます。
自家採種
育てる野菜の品種はできるだけ固定種を選び、自家採種に挑戦しています。日本における野菜の種の自給率は10%程度と言われています。気候変動、異常気象、そして戦争。これらが引き金となり食糧危機が心配されています。播かぬ種は生えぬ、種が手に入らなければ植物を育てられません。自家採種は、危機管理の一環です。ナス、キュウリ、ニンジン、ダイコン、オクラ、トマト、ダイズ、ササゲ、エンドウ、ソラマメなど、まだまだ自家採種できている品種は少ないですが、今後も取組んでいきたいと考えています。
旬を食べる
野菜には旬というものがあります。春なら菜花・絹さやエンドウ・アスパラガス、夏ならトマト・ナス・トウモロコシ、秋ならカボチャ・サツマイモ、冬はダイコン、ハクサイ、ホウレンソウなどです。地域や品種によって多少変わってきます。旬の野菜は、栽培しやすいですし、何より美味しく、栄養価も高いと言われます。たくさん採れるので価格も安くなります。
野菜の生産者にとっては旬をずらして栽培し、高く売ったほうが儲かります。夏のキュウリより、ハウス栽培で冬に出荷すれば、希少性があり高く売れます。しかし、ビニールハウスを立てたり、寒い時はボイラーを焚くこともあるでしょう。気候の異なる地方で栽培して、遠く離れた消費地に輸送することで希少性を高め、高く売ることもあるでしょう。栽培技術の進歩、流通の進歩は私達に恩恵を与えてくれています。しかし、その裏では多くのエネルギーが消費されている場合があるのです。最もエネルギーが少ないのは、地元(究極的には自分の畑)で採れた旬の野菜を食べること。旬の野菜にこだわっていきたいと思います。
石油由来製品を減らす
ビニールハウスやビニールマルチは極力使いません。支柱に結わえる紐は麻紐を使うようにしています。日本は資源の乏しい国です。石油はほぼ100%輸入に頼っています。持続可能な”農”の実践を考えた時、できるだけ石油由来の素材を使った製品を使わないよう心がけています。最近はマイクロプラスチックによる環境破壊も言われています。
とはいえ、ビニール、プラスチック製品は丈夫で使いやすく、使用をゼロにはできませんが、減らす努力を続けています。